【予想通りに不合理】1章~4章

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相対性の真相

本書によると、人間というのは、他のものとの相対的な優劣に着目して、そこから価値を判断しているようです。周りにあるもの・環境で同じものも違って見えてしまう。一見すると不思議な感じがしますが、自分の経験に当てはめて考えてみたらすっきりしました。(笑)ちょっと理解しづらいな、と思った方は、ぜひ参考程度に読んでみてください!※あくまで私個人の意見なので、そのあたりはご了承下さい。

女子校にいる男性教師はモテる?

私は中学高校時代を、所謂女子校で過ごしてきました。他校との関わりは多少あるものの、基本的には女子ばっかりの世界です。思春期真っ最中の女の子たちが、女子ばっかりの環境で生活をする。そうすると、こんな女子が大量発生するのです。

  • 男性教師に本気で恋する
  • 男性アイドル・俳優に本気で恋する
  • ボーイッシュな先輩に本気で恋する
  • ボーイッシュな先輩の追っかけをする

いや、盛ってるでしょ。と思うかもしれませんが、本当です。私も、中学時代は先輩に本気で恋をし、体育祭で撮った写真は家宝にしていました。又、高校時代は向井理に本気で恋をし、結婚します!と宣言までしていました。いまは黒歴史ですが、、、

このような現象が起きるのも、相対的に価値を判断しているからではないでしょうか?周りには女の子しかいない。その環境で異質な存在、つまりは男性教員やボーイッシュな子、芸能人、このような存在がより際立って良く感じ、かっこいいと感じてしまうのではないでしょうか?その証拠として、卒業した今大好きだった先輩や向井理を見ても、あの頃ほど心が動かないのです。笑えますね、、、

今の旦那と付き合うまで、、、

私は、今の旦那と出会った当時、別の方とお付き合いをしていました。(旦那は全て知っているので、包み隠さず書きます(笑))

その方は、何でもできて、見た目もそこそこ良く、一般的には”スペックが高い“部類に入っていると周りからは言われていました。なので、私はそうなのか、となんとなく納得してお付き合いを始めました。今思うと、女子校卒業したばかりだった私には比べる対象があまりに少なすぎて、その方が本当に素敵な方なのか、いまいちよく分かっていなかったのです。

そんなこんなでつき合って数年、編入をきっかけに大学が変わったことで、2人の男性に出会いました。1人は今の旦那、もう1人は同じ大学の後輩です。つまり、相対的に判断できる材料ができてしまったのです!(笑)言い方悪いですね、ごめんなさい(;´∀`)

するとどうでしょう。当時お付き合いしてた方をA、今の旦那をB、後輩をB’とします。※後輩をB’にしたのは、旦那と同じような環境にいた存在だったからです。この辺りの説明は割愛します。

今までAしか知らなかった私が、BとB’を知ってしまいました。そうです。所謂おとり理論です。B’がおとりとなって、Bがより高い価値があるものに感じてしまったのです!(笑)その結果、私はBさんをAさんより素敵な人と感じ、Aさんとはお別れしました。最終的には、Bさんとお付き合い、結婚まで至ったのです。

私はこの決断をして本当に良かったと思っているので書いていますが、今思うと相対的な判断に多少助けられていたのかなと思います(笑)※不快に思われた方がいたら本当にすみません。

編入の決断と就職の決断

上記にてちらっと書きましたが、私は大学時代3年次編入をしました。そっちの詳細が気になる方はご覧ください。

3年次編入までの道のり~輔之丞ブログ~

この編入の決断と、編入後の就職の決断で、相対的判断が強く影響した気がしています。

まず編入ですが、私は当時通っていた大学が意図せず入学したということもあり、「周りの人はみんな自分より下だ」くらいに思ってました。尖ってますね〜(笑)実際はそんなことなかったのですが、超絶性格悪いですよね。でも私にとっては、そうだと信じていたので、編入することくらい余裕だと思っていました。つまり相対的に自分が際立った存在と判断していたのです。その自信からか、ギリギリ滑り込めました。ですが、こっから私はまた違う自分を知ることになります。

編入してからというもの、とんでもない差を日々感じます。年下にも追いつけない、同級生なんてもってのほか、自分ってすごいおバカやん、、、場違いやん、、、。日々そんな思いを抱いていました。つまり相対的に自分が際立ってだめな人間に思えていたのです。当時とてつもなく自信をなくした私は、大手に就職するなんてとんでもない。私は地元の無名な企業で良い、と妥協で就職先を選択しました。周りからは勿体ない、と言われつつ、相対的に自分をダメ人間と判定した私は決断したのです。

さて、入社して数年たったいま、どうでしょう。ええ、お察しの通り。妥協して入ったからでしょう。最初の大学に入学したときと同じ現象が起きています(笑)自分はもっと上を目指せるのではないか、そんな思いすらいだきかけています。

私はどの決断も後悔はしていませんが、自分自身のことですら、相対的にしか判断できないのだな、と本書を通して感じることができたのは大きな学びでした。これからも客観的に自分自身の判断を振り返り、今後にいかしていきたいものです。

ここから2章

需要と供給

物の価値ってどうやって決まっているのかな?そんなことに疑問を感じることが時々あるんじゃないでしょうか?本章ではその疑問を少し解決してくれるような気がします。

ペットとLobot

みなさん、ラボットって聞いたことありますか?結構前から人気があるようで、私はドラマきっかけで興味を持つようになりました。最初は所詮ロボットだと思ってなめてたんです。でも、この前会いに行ってきたら、、、

かわいい。こんなんずるい。

所詮ロボットとか言ってた自分をビンタしたいですね。やはり硬さとかはロボット感がありますが、温かみ・重み・甘え方・目が合う。心を掴まれましたね。何記事か読んでいただいてる方なら分かるかもしれませんが、単純なんです、私。(笑)

あまりにラボットが可愛くて、つい語ってしまいましたが、今回言いたかったのはそんなことじゃありません。ラボットの価格設定についてです。

  • 月額 12,980円
  • LOVOT ソロ  299,800円(税抜)
  • https://lovot.life/pricing/

え。こんな高いの!?月額かかるんかい!

初めて見たときはそう思いました。だってただのロボットですよ、いくら可愛くてもあまりにも高すぎやしませんか。でもこうやって説明されるんです。

「わんちゃん、猫ちゃんを飼うってなると、いくらかかりますか?最初の購入代金で30~40万円、一ヶ月のご飯代で数万円、病気にかかったら病院代もかかり、そして、いつかは居なくなってしまいます。でもこの子は違います。一年に一回定期検診※をうけてもらえれば、半永久的に一緒にいられるのです。やすいと思いませんか?」

あ。たしかに、安いわ。

、、、(笑)怖いですね〜はじめに言ってたことと真逆のこと言っちゃってます(;´∀`)これは恐らく、わんちゃん、猫ちゃんなどのペットを飼う費用が、私の中でアンカーとなり、そこを基準に考えてしまっているからでしょう。つまり、一貫性が生じているのです。

最終的には、バリバリの理系脳をした旦那に「買ったら、中の構造が気になって分解しちゃうから、やめてくれ!!そもそも俺はロボットにしか見えないんだ!!」と猛反対され、断念しました。いやあーそれにしても絶妙な価格設定です。マーケティングされた方?あっぱれです。

私みたいな単純な方へ

この世の中、アンカー・すりこみ、知らないうちにたくさんされていると思います。そして、私みたいな単純な人は、知らず知らず馬鹿みたいなお金を支払っているかもしれません。そんな行動を少しでも防ぐためにはどうしたら良いのか?100%すりこまれないなんてのはむりなので、本書にもあったように、一度立ち止まってアンカーが何なのか?どんなすりこみにあってるのか?見直してみるといいのかもしれませんね。私も今後は意識してみようと思います。

ここから3章

ゼロに弱い?

第三章では、ゼロ・無料による不合理な行動について書かれています。はじめのうちは、正直そんなにピンときていませんでした。ですが、後々いろいろな事例が出てきて、それを読んでいくうちにもの凄く納得できたので、私なりにアレンジしてお話します。

糖質ゼロに惹かれる私

前記事も読んでもらった方はご存知だと思いますが、私はダイエットを度々繰り返しています。かく言う今も絶賛ダイエット中です!!応援宜しくお願いしますm(_ _)m

そんなダイエット生活の中で、最も頑張ったと言っても過言ではない糖質制限ダイエット。有名なのでご存知かと思いますが、糖質を極端に制限するダイエットです。そうです。あの有名なライザッ○に通っていた私はそのダイエットに一ヶ月ほど取り組みました。まあーきついですよ。ですがそこは本題じゃないので、今回は省きます、、、。

糖質制限をしていると、コンビニやスーパーで見かけるありとあらゆる糖質が気になって仕方ありません。その中でも私はやはり、糖質ゼロ!とかかれた商品を片っぱしから買っていました。そうです。これがゼロの魔力です(笑)たいして食べたくもないのに、ゼロと書いてあるとつい手が伸びている。ほんと恐ろしいですわ、、、。やっぱり、オフ!とかカット!とかそういうものより、ゼロ!の方が圧倒的に買う確率は高かったです。これも所謂、ゼロによる不合理な行動なんですね〜今思うとたくさん思い当たりますね、、、トホホ

興味のないラッセン展

ゴッホよりーふつーうにーらっせんっがっすっきー♪ 

流行りましたね〜。永野さんのおかげで、ラッセンという名前だけは知っていました。ですが絵とかは見たこともなく、とくに興味もありませんでした。そんなある日、家の近くでラッセン展が行われると広告を見つけました。ほおー、そうですか。最初はそのくらいの興味でした。ですが、電車の中である文字を見つけてしまったのです。 

来場特典として、マウスパッドを無料でプレゼント!

ううう!よく分からんけど、無料ならほしいっ!!まんまと、はめられましたね。そして、結局ラッセン展に行き、行ったら何か欲しくなり、ラッセンのスマホケースを購入しました(笑)無料だったはずが、結構お高く付きましたね〜

食べる気もなかったモンブラン

最近こんな感じのモンブラン流行ってるの見たことありますか?

ついに名古屋にもできたんですね。SNSに疎い私でも、友人がこぞって食べに行っていたのでなんとなく見たことがありました。ただ、なんてったって人気商品。行列がたえない!なんてのも聞いておりました。ですが、ある日大須(名古屋の数少ない1繁華街)に遊びに行っていると、なんと噂のモンブランのお店があるじゃないですか!しかもそこには待ち時間ゼロ!の文字。

そんなん行くやーーーん

行くつもりはさらさらなかったのに、気がついたら右手にはモンブランがありましたね(笑)まあ美味しかったんでよかったんですが、これもゼロによって動かされたのかな、なんて思います(笑)

ここから4章

社会規範と市場規範

この章では、社会規範と市場規範について書かれています。私はそもそもこの言葉を知らなかったので、理解するのに非常に時間がかかりました。(いまだに理解できたのか分かりませんが、、、) 社会規範って何?2つが混ざるとやばいこと起きるって聞いたけど、具体的にどんなん起きるの?そんな疑問を少しでも感じた方は是非参考にしてもらえると嬉しいです。

そもそも社会規範と市場規範ってなによ、、、

社会規範は、共同体のルールです。もう少し具体的に言うと、金銭のやり取りが発生しない・対価が決められていない場合は、社会規範に当てはまるでしょう。例えば、お金は払えないけど、手があいてたら引っ越しのお手伝いしてよ!とかそんな感じですね。ボランティアも入るんでしょうか?結構日常にありふれてるかなと思います。

一方市場規範は、市場のルールです。つまり、対価が定量的に示されています。例えば給料とかもこの類ですね。働いた対価としてお金が支払われる。こんな感じです。

社会規範と市場規範、混ざるとやばいってほんと?

brown envelope with thank you printed card
Photo by Panos Sakalakis on Pexels.com

本書の実験によると、この二つが混ざるとやばいらしいんです。まあでもピンとこないですよね。なので、私なりに考えてみました。例えば下の2つの例を比べて考えてみたらどうでしょう?

  1. あなたはお友達のお引越しを手伝いに来ています。せっかくのお休みですが、仲良い友達なので喜んでひきうけました。朝からお手伝いをして、もうすっかり夜になってます。さて、ようやく片付けも終わると、帰り際に「ありがとう、ほんの気持ちだけど」と缶ジュースを渡されました。
  2. あなたはお友達のお引越しを手伝いに来ています。せっかくのお休みですが、仲良い友達なので喜んでひきうけました。朝からお手伝いをして、もうすっかり夜になってます。さて、ようやく片付けも終わると、帰り際に「ありがとう、ほんの気持ちだけど」と150円を渡されました。

①と②比べてみるとどうでしょうか?(缶ジュースって、、、もうちょいええの渡せよ、ってツッコミはおいといて) プレゼントとして渡された方が、素直にありがとう、と思えませんか?もちろんお金も嬉しいですが、1日いたのに、たった150円!?なんて気持ちになりませんか?これが市場規範が社会規範に侵食する瞬間なんです。

①の例は、金銭のやりとりが一切生じていません。つまり、社会規範の中で起きている出来事です。一方②の例は、途中まで社会規範だったものが、最後の150円を渡すことで市場規範に置き換わってしまったのです。

やばいと言われる所以が少しは分かってきたでしょうか?タダでやってもいいと思っていることですら、お金が発生することで市場規範に変わり、自分の対価を評価してしまうのです。そしてその結果、やっす!とかこんだけかよ!とかそんな感情を抱いてしまうのです。

更に恐ろしいことに、一度社会規範から市場規範に置き換わると、なかなか抜け出せないそうです。この例に当てはめてみても分かるのではないでしょうか?同じ友達からまた何か頼まれたとき、同じ対価を期待したり、もしくはあんまりお金もらえないから…と手を抜いたりしてしまう、、、くぅ〜人間恐ろしや~

教育と社会規範!?

著者も一例に挙げていましたが、教育にも社会規範を取り入れると良いのでは?と私自身も感じたので、少しうだうだと書かせていただきました。暇な方はお読みください。

私は姉の影響で中学受験を経験しました。当時は完全にやらされている感Maxでしたね。。。なので当然モチベなんて上がるはずもなく、第5志望くらいだった金城中学に入学しました。( ´∀` )そして大学受験の時、いざ何がやりたい?と聞かれるとなんにも思いつかず、母親がやっている外国語で良いかな~となんとなくで進路を決めてしまいました。

中学受験・大学受験と適当な選択をしてしまったな~と今になって少し後悔している私ですが、原因はどこにあったのでしょう?もちろんほぼほぼ99%は、私の甘ちゃんな性格のせいで他人を頼りすぎ、しっかり考えなかったというのが原因でしょう。

でも、日本教育の方法にも一つ問題があったのではないかな、と思っています。(すぐ人のせいにする、、、よくないですねっ!笑)

中学生、高校生が今勉強していることは、将来的にどんな役に立つのか。なんのためにこの勉強をしているのか。どんな勉強をすると、どんな職業になりやすいのか。はたまた、この世の中にはどんな職業があるのか?こんなことをもっともっと教育現場で教えるべきなのではないでしょうか?

このように思ったのは、私が社会人になってから初めて「勉強したい」と感じたからです。社会人になってようやく、あの頃した勉強がここで役に立つんだ、もっとちゃんとやればよかった、、、。こんな所で役に立つなら、もっとあの勉強してみたかった!!と気がつく日々です。

若い時ほど知識は定着しやすいと言われているので、悔しさは否めません。(笑)なので今となっては、勉強しろしろ言っていた親の気持ちも分かってしまいますね。

日本の教育は、試験や競争が多かったりと市場規範的な部分が強い気がしています。なので、もっと教育の目的だったり、それによって得られる誇りだったり、そのあたりに焦点を当てた教育を増やしてほしいな、と個人的には思っています。具体的にどうやって増やすのか?非常に難しいと思います。なんせ、教える立場の教員ですら分かっていない方が多数でしょうから。

なので、まずは社会を経験している人材教員以外の経験をしてきている立場の人の話をたくさん聞ける機会を設けてあげるのか良いのではないでしょうか。いつか自分でそんな機会を多くの若者に与えられたらいいな、なんて夢もこっそり抱いています( *´艸`)

※私個人としては、今の教員(社会に出ず、教育現場しか知らない教員)が教育を行うことに対して、色々と思うことがあるので、いつか記事にしてみたいと思います(笑)

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